「芯と絡み」を考える

「芯」と「絡み」の違いを語っていこう。

最初に挙げる違いは、勝つ方が芯。負ける方が絡み。稽古では大体このように決めて行われることが多いのではないだろうか。
当然、絡みが勝つ場合もあれば両者が倒れる場合もあるが、殺陣においてどちらにフォーカスが合うかという考えが妥当ではないだろうか。

もう一つは、殺陣における主役が芯。脇役が絡み。こちらが殺陣本来の意味として正しい。現場では手付の際、芯に殺陣師が入り、絡みに指示しながら手付するというスタイルが通例だ。殺陣師が行っている役が芯と認識してもおおよそ問題ない。

では、役者側がこの2つをどのように理解すべきか。というより役割が違うため、考えることも違う。

芯を行う際には、まず手を覚える、立ち位置を把握する。
手を覚えるのは芯も絡みを同じだが、芯は常に刀を振っている事になる場合が多いので、絡みよりも覚える量が多い。そして自身の立ち位置だ。舞台なら客席側、映像ならカメラを意識して一手一手「どこ」にいるか自覚する事だ。

一方、絡みは、自身の手を覚える、芯の動きを把握する、自分の動線の確認をする。
1対1の場合、手を覚える量は芯と変わらないが「芯を映えさせるため」を優先に、自身がどう動くか芯の動きを把握した上で考えなければならない。1対多の場合は加えて、絡みどうしがぶつからないように、邪魔にならないように、付け回しや位置取りを絡みどうしで確認しなければならない。

振りを渡し終えれば、テストとなる。この時、芯は自身の芝居も含めて立ち回ることになる。その中で、絡みに「どこ」「どのタイミング」に打って来てほしいか明確にする。芯はテストの中で「どういう動き」「どういう捌き」をしたいか絡みに見せる必要があるという事だ。絡みは芯の動きや捌きを主体に自身がどう動くかを考える。芯を主体として考えるのが大前提だ。
絡みは芯がやりにくそうな部分を感じ取る観察力も必要になる。

そして本番。殺陣は生ものだ。テストを十分にしていても、足を滑らせる等の小さなハプニングは付き物だ。そういった事態が発生した時には、芯も絡みも滞りなく殺陣が終わるように助け合わなければならない。ハプニングが起こった時に柔軟に対応できる頭の余裕を作る為のテストでもあると、テストの認識を拡げておくべきだ。
瞬時の判断力が必要になる。手が止まった時にどう芝居でその時間を埋めるか。いわゆる普通の芝居で「台詞が出てこない」時などと全く同じだ。

殺陣で表現したいものを、芯も絡みも全員含めて助け合いながら作り上げるのだ。


稽古時には、メンバー内で交代して、芯と絡みの両方をする事も多いだろう。こういった機会に、芯として気になった所は、絡みの時に活かせるように、意識しておく。その逆も然りだ。この頭の切り替えに慣れれば舞台など現場で、芯・絡みのどちらになろうとも、相手の考えを考慮に入れながら、立ち回りができるようになる。

最後は技術的にも演技の面においても、重要な事だ。
芯は隙を見せる。
絡みは隙をうかがう。
この2点だ。

殺陣において、手順が台詞と同様に決まっているのだから、芯がどう動こうと、手の通りに進んでいく。がしかし、芯は「隙を見せる」という事についてしっかり考えなければならない。
例えば、芯を中心に、正面と背後に絡みがいるとする。どちらの絡みが攻めやすいだろうか。当然、背後にいる絡みの方が攻めやすい。
殺陣師は、当然上記の事も計算に入れて、手の順を考えている。という事は、1手目から、芯の隙をついて斬りかかっていると、役者は受け取るべきだ。芯が素人だと、これが出来ず、次来る人の方をじっと見てしまう。これでは隙が全く無いのだ。芯は絡みの為にも、隙を作るように演技しなければならない。

絡みが芯の隙を探るのは、戦いなのだから当たり前だが、それをどう観客に見せるか、という事が役者としての課題だ。付け回すのも然り、構え直すも、じっとうかがうでも良い。手が決まってるからと、自分の斬りかかる順番を待っているだけでは、何も生まれない事を理解すべきだ。

この2点をしっかり押さえれば、殺陣が一手一手千切れたパーツの集まりではなく、1つの繋がった作品となる。

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