独自にカテゴライズ・その2

次に考えられるのが、巷を賑わせた「2.5次元」である。
漫画やアニメ、ゲーム等を実写化、舞台化した画期的な代物だ。
この原作が時代物である場合に描写される戦いに対して私は否定的ではない。
むしろ好きだ。私も漫画は読むし、時代物も好きだ。
漫画家さんが、より迫力を表現するための描写は、漫画家だからこそ表現し得るものがある。

ここで問題にしたいのは、2.5次元化された時代物の作品の戦いが「殺陣」という括りで扱われるところにある。

殺陣として成立するものもあるだろうが、ほぼ全てにおいて、殺陣からは程遠い戦い方となっている事に目を背けずにはいられない。

もちろん、現実離れした動きが多く描写される作品であれば、世界観に合わせた立ち回りが必要となるのは必然だし、むしろそうあるべきだと思う。

ただ、そこにあるのは殺陣ではない。

刀の扱い、足運び、体捌き、どれをとっても殺陣ではなく、技斗だ。
※殺陣・技斗の区別についてはコチラを参照

所作が、現代劇であることがほとんどなのだ。
時代劇の衣装を纏い、技斗をしている。

この違和感が一長一短で、作品を表現する中で正解に近い演出とも感じるが、ヒーローショーを見ている様にも感じ残念な部分でもある。
なぜなら、これを「殺陣」と言い切ってしまう所にあるからだ。

これは技斗と言ってしまってもいい気がするのだが、いや、本来なら技斗そのものだ。

ただ時代劇の衣装を着て刀を振っていると言うだけで、観る人は「殺陣」と感じてしまう所も懸念している。


しかも、この手のジャンルは、コスプレ業界とリンクし、殺陣でない殺陣を肥大させる。

コスプレ中、カッコいいポーズとは、作品のキャラクターが取っているものであったりする。当然、戦闘シーンを模して撮影なども行われる。そして、それが一般に浸透している単語「殺陣」として認識してしまう。というのも、そのレイヤーさんが好きな作品の2.5次元舞台は「殺陣します!」と謳っているのだから。

そして、2.5次元舞台側を見ると、キャストは歳が若い人が起用される事がほとんどだ。殺陣の本質を理解せぬまま、作品のイメージに合わせた立ち回りをする為に、殺陣ではない動きを殺陣として認識してしまう。

前者は極論、仕方ないと言えるが、後者は集客の為に、イメージの伝わりやすい「殺陣」を連呼しているのだ。これは、ネットのアクセス数獲得と同じ戦略。制作側がこれをしてしまうと、もう止める術がない。キャスト陣も自ずとそれに引っ張られ「私、殺陣できます」という誤った認識になっていく。負のスパイラルだ。

これは、技斗なのだ。

ネット上では、アクション殺陣と書いている所もあるが、アクション殺陣=技斗である事が多い。だから「アクション殺陣≠殺陣」

ならば、アクション殺陣という単語が、殺陣ではなく、技斗だと周知させて欲しいものだ。

さて、この類についてどう分類するかを考えた時、2.5次元でも、「殺陣」をしている所もある。「技斗」の所もある。という状況だ。

ならば、2.5次元のものについては、そういうジャンルの戦いなのだという意味で、「殺陣2.5」というのはどうかと思う。

製作側が使いたい「殺陣」の文字も残しつつ、2.5次元の表現ですよと区別出来なくはないだろうか。と言う事で、当ブログでは「殺陣2.5」と呼ぼうと思う。