定義
殺陣のグレーゾーンを追及するに当たり、殺陣自体を定義していく必要がある。
殺陣は、時代劇に見られる戦いの所作、芝居である。
時代劇で戦うシーンなのだから、基本的には生死を分ける演技と、観る人を意識した表現が必要不可欠である。
基本的と言うのは、例えば、道場での稽古シーンなど、死ぬ事が無いものでも殺陣となるからだ。
そして、単に戦う行為を指すのではなく、抜刀をする所作から納刀が終わるまで。もっと厳密に言えば、戦うと決意した瞬間から、残心を終えるまで。が殺陣である。
捻くれた言い方をすると、見合った両者が抜刀し、正眼のままピクリとも動かず、隙を見極める、その最中、周りで事件が発生し、両者はとりあえず刀を納める。これも殺陣である。
なぜこんな事を言うかというと、決して刀を振り回すだけが殺陣ではないからだ。
殺陣には、技術面と演技面がある。
技術面としては、武術や武道と同じく、殺陣にも基本的な動作がある。武術や武道と違う点は、本当の殺し合いや戦いではなく、芝居として魅せ方に特化、昇華させた動作であることだ。
居合や剣道などをしている人からすると、とても不自然な動作さえあるが、どう表現すれば、観る人にどう伝わるかを追求した結果だ。
そして、演技面は、実際に本番で殺陣を行う際、基本技術に忠実な殺陣をしても単調で観るに耐えないものになるため、役柄、状況などに見合った表現が必要になる。スポーツで言う所の、練習と試合の違いと言えば、何となく伝わるだろうか。
逆に言えば、この2つを融合しているからこそ殺陣なのだ。
殺陣では、基本的に刀を相手に当てない。
これは、色々と異論が出そうだが、私はそう定義する。
芝居なのだから、役者が怪我をしない事が大前提である。怪我が役者人生を終わられる事だってあるので、実際に刀を当てるのではなく、当てずに切ったように見せる事が基本となる。
基本があれば応用もある。刀を実際に当てて切るケースが存在する。例えば背中を切る場合などだ。
切られる側が切られたかどうか見えない状況だと、刀が当たらなければ、いつ切られたか分からず、切られた芝居ができない。こういった場合、切る側は相手の袴板を狙って当てるなどの技術がある。当て切りと言うが、これは怪我をさせないような技術や方法が取られる。
最近では、ラバー刀と呼ばれる、刀の刃の部分がゴム製のものがある。ヒーローアクション等で活躍する刀だが、これを使い、当て切りを基本に殺陣を行う所も存在する。
しかし、当たれば痛いし、打ち身やミミズ腫れになる可能性は十分にある。切られる側は、着物の下に、緩衝剤となるプロテクターやタオルなどを用いるが、基本が当て切りの演技を殺陣と呼ぶ事に抵抗がある。
と言うのも、殺陣を習う人が最初に握る刀は、まず木刀だろう。
木刀で当て切りすれば、間違いなく大惨事だ。なので、初心者は何より怪我をしない、させない間合いの取り方を学ぶ。
切る相手との距離が、実際に相手に当たる距離と、当たらないけど切れたように見える距離は違う。そして当てなくとも切れたように見える距離を習得すれば、特に当てる理由が無くなる。
そして、何よりラバー刀は、名の通りゴムなので、当てると曲がる。普通に観ていても切った時に刀身が、ビヨンと曲がっているのが分かる。とても戴けない。
もし、ラバー刀が木刀のシェアをひっくり返し、「殺陣を習う際はラバー刀」という時代がきたなら、この項目は改訂するかもしれないが、やはり殺陣をするなら基本は竹光で。
切ったように見せるのも役者の実力なのだ。
殺陣は総合芸術である
独りよがりな殺陣をする役者がたまに目に入るが、それは殺陣ではない、と気付いて欲しい。
芝居なのだから、人に見せる事が大前提となり、台詞の掛け合いと同じく、やり取りが存在する。切りに行く人が話す側、受ける人が聞く側という具合だ。
独りよがりに刀を振る人ばかりだと、全員同時に台詞を話しているようなものだ。
いわゆる普通の芝居を作っていく作業と同様に、調和や助け合い、ある種の息のあわせ合いが必要だ。
そして衣装や音楽、照明やロケーション等が合わさって、一つの殺陣が完成する。
今後、当ブログを続けるに当たり、殺陣といえば、上記の内容を物差しにしたいと思う。
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