独断分析 vol.48

動画その66
https://twitter.com/kyo_suke319/status/1295023995033550849


分類:殺陣
お芝居としての殺陣。との事だが、殺陣=芝居だ。その時点で殺陣の意味を履き違えているのではないだろうか。
刀を振れば良い、というものでは決してない。その点を多くの殺陣と称する団体や教室が誤っている事に目を塞ぐことができない心境だ。
のっけから、残念な感じであるが、動画を見ていこう。

おそらく、芝居と称しているのは、一手一手の間の取り方を指しているのではないかと推察する。

単調とならない様に、間を変えて行う事によって、機械的でない表現が生まれるのは確かだ。この点は多くの殺陣団体や教室では、あまり意識されていないのではないだろうか。
したがって「芝居」という枠に「間」は不可欠であり、この意識は他の方も見習うべきであろう。

しかし「間」だけで芝居と言ってしまっては、お粗末すぎる。刀の振り方はもちろん、目線、表情や声も芝居に不可欠であるし、手付も「殺陣」の「台詞」であるのだから、もちろん、そこには根拠がないといけない。

では、この動画ではどうだろうか。
6手目の後の「間」
8手目の受けの「間」
10手目の後の「間」
11手目の突きの「間」
この殺陣は、11手という短い手に4つも、それなりに長い「間」がある。
殺陣はメリハリも必要だ。見る人が、ハッとしたり、スッキリしたり、笑ったり、恐怖したり、涙するように、この殺陣で何を伝えたいかだ。
当動画は稽古なので、物語としては表現しづらいため、手の意味合いに重点を置くと。

6手目の「間」は意味が不明瞭だ。
動画を見る限り、袴の方が着流しの方の刀を落とし優勢だ。にも関わらずの「間」だ。
優劣の差をこの「間」によって均衡へ戻してしまう。

8手目の「間」は意味が明確だ。
受けの勢いを表現するために、「間」があっても良い手だ。

10手目の「間」も意味が明確だ。
腹を斬った時の魅せる表現、残心としての意味合い。良く理解できるが、着流しの方が斬られたリアクションもなければ、その後の動きも斬られる前と変わらない。段取り芝居なのだ。

11手目の「間」も意味が明確だ。
最後の一突き。その命をうばう一撃に必要な間だ。

と「間」を見てきたが、11手の殺陣にこれだけの間を使うとメリハリが薄れる。
「間」を使うとすれば、8手目と11手目の2つすべきではないだろうか。

根拠としては、6手目の「間」は意味がないために省略。
10手目の「間」は絡みが段取り芝居なので「間」を作らない方が見れる殺陣となる。またこの次の着流しの方の逆袈裟が、袴の方の頭の上をかすめる表現となっているが、そもそも袴の方は前の一手で屈んでおり、屈んだ状態の所へ頭をかすめる逆袈裟というのは、とんだ茶番だ。屈んでいるのは見てわかるのだし、敢えて空振りしようとしなければこの様にはならない。「嘘」の塊だ。
よって、10手目の屈んでの胴切りの後すぐに突く。と着流しの方は刀を振りかぶるかその前ほどで突かれるため、お粗末な逆袈裟をしなくて済むのだ。

この殺陣にいかような「芝居」があるか、それが見る人に伝わっているのか・・・
もっと励んでもらいたい。



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