「付け回し」を考える

よくある1対多の立ち回りの際に、絡みがわらわらと動く。その動きだ。

芯を中心に絡みが周りで囲み、芯の動きに合わせて動く。
この動きには、芯の隙を窺うという表現はもちろんの事、殺陣全体に動きを出す。
芯が構えてじっとしている中、絡みが動くと、芯が引き立ち、芯の強さすら表現できる。

未熟な立ち回りでよくあるのが、絡みも動かない事だ。芯も絡みも動かないという表現において、緊張感は表現できる。静まりきった緊張感が、声と動きで立ち回りに雪崩れ込む。静と動を表現するための間だ。しかし、常に絡みがつけ回しをしない状態だと、静と動の区別はなく、緊張感すら生れない。何も表現できていないという事を理解し、表現できていないという事は役者にとって致命的と思うべきだ。

絡みが自身の順番を待ってるだけではなく、順番を待ちながら隙を窺う芝居をする事が望ましい。また、この付け回しには、色々と副産物がある。
まずは、足を動かせるようになる。絡みはよく動くから、動かない芯より弱く見えるのだ。弱い犬ほどよく吠える効果だ。これが芯と同等に強いのであれば、動く必要もないが、1対多の場合には必須要素だ。そして芯の3倍も5倍も動くから殺陣が華やぐし、芯の事を考えて芯がこなしやすい所に入ってあげる事ができる。
次は自身の間合いを覚える事ができる。基礎稽古で間合いを覚える事も多いと思うが、実際には常に付け回しをして、付け回している所から斬りかかる事が立ち回りのベースとなる。
とすれば、付け回しながら、自分の順番が来た時には、振りかぶりから一歩で斬りかかる立ち位置に居なくてはならない。付け回しから自身の間合いに入る。芯との距離を把握することにおいてこちらも必要な技術だ。これをしないから、技術が身につかずに自分の順番を待って立っているだけの案山子となるのだ。

付け回しも芝居だ。表現だ。絡みだから斬られるだけという考えではなく、表現者としていかに斬られるかを斬られる前から表現する事が必要だ。

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